博愛主義者になりたい自分と向き合ってみる

自分は博愛主義者になりたい。

 

綺麗事に聞こえるかもしれないけど、なるべく多くの人を好きでいたい。

 

上から目線かもしれないけど、理不尽で苦しんでいる人や社会的に弱い立場にある人を分け隔てなく救えるようになりたい。そう思っている。

罪のない人々が不当な扱いを受けているのを見るのは、とても見ていられない。

(もちろん、悪いことをした人には刑罰とか必要だと思うし、それ相応の報いは必要だけど。)

 

そして、みんなが輝いて活躍できるような社会になってほしいなと思う。

それを実現させるために自分にできることがあるのであれば、積極的に行動していく。

誰かを好きでいる方が幸せだ

上で述べたことは綺麗事に聞こえるかもしれないけど、

実際、誰かを好きになったり愛したりしている方が人は幸せだと思う。

 

そういう意味では友達とか尊敬できる人をもっと増やしたいなと思うし、人のことをもっと好きになっていきたい。

もちろん、この世の中にいる全員の人を愛することはできないし、嫌いな人や憎い人はどうしてもいるものだと思うけど、そういう人は少ない方がいい。

正直、自分自身誰かを憎むとかなり精神的に消耗する。

 

「あいつが許せない!うわあああ!!」

「あいつのせいであいつのせいで…!!」

なんて感じで、心の中がルサンチマンでいっぱいだと、鬱が悪化するし、身体的にも悪影響が出る。頭やお腹が痛くなったりする。眠れなくもなる。

 

というわけで実際、嫌いな人が多いと生きていくのが無駄に大変になる。

余談だけど、中島みゆきの「Nobody is right」の歌詞とか超共感だもん。

もしもあなたが全て正しくて とても正しくて 周りを見れば

世にある限り全てのものは あなた以外は 間違いばかり

つらいだろうね その一日は

嫌いな人しか 出会えない

寒いだろうね その一生は

軽蔑だけしか 抱けない

<「Nobody is right/中島みゆき」より>

だから本当は、好きな人が多い生き方をしていきたいし、完璧なとまではいかなくても博愛主義者になりたいと思っている。

差別を率先する人間になるとどうなるか

逆に、差別主義者になると一体どうなるのだろうか?

 

「まだ引きずっているのかよ!!」と思われるかもしれないけど、差別主義者を自称している某プロ無職を見ていて思ったことがある。

その人は、Twitterで「面白い人とだけと関わりたい!」と言っていたことがあるのだが、それはわざわざ公言するべきものなのだろうか?

 

例えば芸能人だったら普通、一般人をまともに相手にはしないし、交友はあくまで芸能人同士で深めるけど、

芸能人はわざわざSNSで「友達募集!(ただし芸能人に限る)」なんていうことは発信しない。

そんなことをしなくても済むように、外を歩く時は変装をするし「原宿に行きます」なんて無闇に出没情報を垂れ流すということもしない。

 

だから、「面白い人とだけ関わりたい!」というのは感じ悪いし、嫌味にしか聞こえないのだ。

 

あと、バンドの友達でAKBが嫌いな人がいるのだが、その友達に以前「AKBのことをディスる歌詞の曲を作ってもいい?」と言われたことがある。

俺はそれを聞いて、マジでぶん殴ってやろうかと思った。

自分はAKBが好きなのだが、何故自分の好きなものを悪く言われなければいけないのかと思ったし、

嫌いだからといって、何故そんなことをするのかが理解できなかった。

 

以上見てきたように、差別主義者な人間や好き嫌いが激しい人間は、人のことを不快にさせるし、嫌いなものに対しては徹底的に攻撃する。

人に対する評価は評価者次第

というわけで、差別主義者は本当に嫌なのだが、

そういう人達のことを考えていて、気づいたことがある。

この項目では、一見「博愛主義」とは関係ないようなことを述べていくけど、ちゃんと「博愛主義」というテーマに繋げるのでしばらく付き合ってほしい。

 

「あいつは面白い、こいつはつまらない」と言っている人がいるけど本当にそうなのだろうか?

「あのロックバンドはいい、AKBはクソ」と言っている人がいるけど本当にそうなのだろうか?

 

世の中には、面白くないと言われている一方で面白いと言われている人もいる。

それは芸能人や有名人を見ればわかることだと思う。

AKBはクソだと言われている一方で、AKBはすごいと言う人もいる。

 

何が言いたいのかというと、好き嫌いとか評価はあくまでその人の感性の問題でしかない。

だから、AKBがディスられているからといって、AKBが100%悪いというわけではない。

もちろん、もっと何かしらを改善すればAKBはより多くの人に愛されるアイドルになると思うけど、最終的な評価はあくまで評価する側にかかっている。

 

だからもう一度言うけど、好き嫌いとか評価はあくまでその人の感性の問題でしかない。

そもそも頭ごなしに人を貶したり、「AKBをディスる歌詞を書いてやる」とか言ってその人の人格や好みを攻撃するのはおかしい。評価の仕方以前の問題だろう。

人を愛せるようになるために

上記のことを踏まえて、俺は人を愛せるようになるためのヒントを得た。

好き嫌いとか評価はあくまでその人の感性の問題でしかない、ということは、

自分の感性を磨けば、人を好きになれるし、嫌いにもなれるということだ。

 

世の中の全員が酷い人間だと思えば実際にそう見えるようになるし、

みんなが素晴らしい人間だと思えば、実際にみんな素晴らしく見える様になる。

 

うざい人そのものが実際に存在するわけではない。

自分がその人のことをうざいと感じているだけ。

 

優しい人が実際に存在するわけではない。

「この人は優しいな!」と自分が勝手に思っているに過ぎない。

 

この話はアドラー心理学の目的論とも共通する。

うざいことをされたから怒るのではなく、自分が怒りたいからうざい人を作り出す。

好きになれる要素を相手が持っているから相手を好きになるのではなく、

自分が相手を好きになりたいから、相手から好きになれる要素を見つけ出す。

 

だから、やっぱり自分の感性、考え方、捉え方次第で人を好きにもなれるし、嫌いにもなれる。

というわけで、博愛主義者になるためには、自分自身の感性、考え方、捉え方を磨く必要がある。

 

もっとも、今回の記事で差別主義者の人を悪く言ってしまったし、そういう自分はまだまだ未熟なんだろうなと思う。

博愛主義者とはまだまだ程遠い。

 

でも、だからこそ自分の感性、考え方、捉え方を磨いていって、心理的に成長していきたい。

愛せる人が増えるように、これから成長していく。